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二人と一匹で新生活をスタート、大好きな物作り、インテリア、料理や猫の事を・・


by g-tant
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いつまで続くのかと思っていた長い梅雨の後 恐ろしい(笑)酷暑が
どうも最近の気候は加減というものが無いらしい
老人二人とオッチャン猫 伸びてます

又々感染者が増えて来たのと暑さでお墓参りはパス 県を跨ぐと言ってもたかだか根津までなのですがなんだかね〜
観たい展示会も色々あるのですが・・・・「美味しい浮世絵」とか「和巧絶佳」とか
暑さ・コロナに負けずお出かけの方々凄いですね〜

染付用のエスキースを描かなければとゴソゴソ道具を出すと待ってましたとやってくるヤツのおかげで一向に進まず
アーダコーダとやってるとまたまた食事の支度 一人だと良い加減に済ませるんですけど
手間のかからない肴をつまみに晩酌するとだんだんもうういいやと
こんな毎日を過ごしてます
ただ電子書籍のお陰で読みたかった本が気楽に読めるのは良いのですが月末の請求書怖い

ミス・バンコクとは?
コペンハーゲンはトラジットを含め度々訪れた街
ストックホルムに比べるとコンパクトでアップダウンが無いのでブラブラ歩き回るのにピッタリ
特に初夏から夏にかけてカフェやバーで飲みながら(他の北欧の国と違ってアルコールが専売では無い)のんびり日光浴なぞしていると本当に幸せな気分になる

40年以上も前何度目の訪コペンか忘れたのですが いつも通り地図を持たず行き当たりばったりに裏通りや路地をブラブラしていると小さなアンティークショップを見つけた
コペンハーゲンは結構アンティークの掘り出し物が見付かる事が多い穴場
ウインドウを覗くと大好きな古い玩具や人形が飾ってあって迷わずドアを開けた
お店の奥には黒髪のオリエンタルビューティーが座っていた 今では世界中至る所で色々な人達に会うの機会があるのだけどその当時北欧の街の裏通りの店で東洋人に会う事は本当にビックリ!
相手もビックリしたようで暫し絶句
後は堰を切ったように自己紹介やらこの国にやって来た経緯やらを話し始めた
彼女はタイのバンコク出身でバンコク大学で法律を勉強していた時ミス・バンコクに選ばれてモデルの仕事をしたりした時に知り合ったデンマーク人の男性と結婚してコペンハーゲンにやって来て義母のアンティークショップを手伝っているとの事 
そりゃ美人なわけだ〜
私もスウェーデンに来た経過とか話た 
なんだか離れ難く?結局お昼を食べようと近くの中華料理屋へ
今考えると可笑しいねタイと日本のお姉ちゃんがコペンハーゲンの裏通りの中華屋で爆トーク
散々喋って名残を惜しんで再会を約束して別れた

その後2〜3年後コペンハーゲンに行く機会があったのでお店に寄ってみたが彼女の姿はなかった
店番をしていた中年の女性は彼女の元義母で私が会った後間も無く弁護士になるという夢を叶える為に旦那さんと別れオーストラリアに渡ったと教えてくれた

寒さとか言葉(彼女は英語は堪能)生活習慣に慣れないと話していた事や意思の強そうな美しい顔立ちが思い出される
きっと元気で活躍してるんだろうなサリスワットちゃん

彼女がくれたカードや写真探したのだが見つからない
(もっと美人だけど)タイのインラック首相に雰囲気が・・・

思い出の人々 ミス・バンコク_e0191882_16244047.jpg

彼女のお店で買ったドイツのベビードール(コンポジション製)
思い出の人々 ミス・バンコク_e0191882_16334198.jpg

お腹の笛が壊れて今は鳴かなくなった

# by g-tant | 2020-08-14 16:37 | 人々 | Trackback | Comments(0)


小学校から中学まで浜田山にあった中間冊夫・佐川敏子先生のアトリエに絵を習いに行っていた

ほぼ毎週土曜日放課後余程楽しかったのか子供の足で30分近く掛けて通っていた

23区内とはいえ杉並には田んぼや畑が残っていて鷺が餌を探していたり夏にはカエルの大合唱や蛍まで


中間先生は独立美術に所属して武蔵美で教えてらしていた佐川先生もまた独立美術に所属されていた

私たち小学生は主に佐川先生が見てくださり中間先生は大人や美大受験の学生の指導をされ時々子供達の作品の講評をしてくださった

二人共自由に個性的にという指導方法だった「はみ出したって良いんだよ」「綺麗に上手に描くことは考えないで」等々 

けどよく言われたのはモチーフをよく観察しなさいという事

花は正面から見るだけではなく後ろや裏側どう茎と繋がってるか葉っぱはどう着いてるのかとか

色も一色じゃなく色々な色が混ざってるんだとか


今でも私の作品作りの基本となっている


アトリエは大きな三角屋根で先生の大きな作品が壁にかかり冬には真ん中にある大きなストーブが焚かれていた

絵を描き終わるとおやつを頂きながら作品の講評(と言っても良いところを見つけて褒めてくれる)


無口な中間先生ニコニコしながら見ていたけどクリスマスとか何か行事のある時はケーキをみんなで食べたり・・・時々本や写真を見ながら先生が画家の話とか外国の話をしてくれるのが楽しみでした

絵を描く事が楽しくなったのはあの時にからかなぁ~

勿論年中スランプでウンウン言っているのだけどなんだかんだ言っても絵を描くことや物を作るのは大好き


そんな楽しい教室も中学に入ってからしばらくして中間先生が大学などいろいろ忙しくなったのでと終わる事になってしまった

後で佐川先生のお身体の具合が悪くなられてと教えていただいた


ダイナミックな中間先生の作品

思い出の人々 佐川敏子先生_e0191882_14051259.jpg

優しい色合いが先生らしい佐川先生の作品

思い出の人々 佐川敏子先生_e0191882_14061283.jpg


いつもゆったりと着物を着ていた優しい先生の事思い出す




# by g-tant | 2020-08-02 14:12 | 人々 | Trackback | Comments(0)

追記

前回のブログで大変な間違いを!

河合はな江さん→河田はな絵さんでした~すみません


当時は天井桟敷のお仕事をされていたはなさんには「はんらん狂想曲」の後に何回か声をかけていただいてお手伝いを

どの舞台かすっかり忘れてしまったのですが下馬二五七さんや蘭妖子さんの着付けのお手伝いをさせていただいた

下馬さんは小柄で飄逸な雰囲気で森の小人のような雰囲気の方で私がヘタッピーな白塗りのお手伝いをするのを笑いながら見ていらした

蘭さんは名前通りの怪しい雰囲気で(でもさっぱりとして優しい)ダンスの名手

二人共「天井桟敷」には欠かせない方達でした 

残念ながら下馬さんは亡くなられてしまったけど蘭さんはまだ現役バリバリとの事

コロナが収束したら是非舞台拝見しに行きたいな~

下馬二五七さん

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蘭妖子さん
追記_e0191882_17083297.jpg


書いていたら色々な事が細切れながら思い出される

寺山さんが思ったより華奢?な感じで突っ掛けみたいなサンダルで忙しそうにしていたことや若い団員達が共同生活をしていたアパートの飲み会に誘われて行った事とか


アングラ演劇などというと何だかおどろおどろしい感じだけど皆んな演劇が好き好きで真っ直ぐな気持ち良い若者達でした


「はんらん狂想曲」も夏中の公演でも同年代の出演者達とも結構親しくなって色々な話をした


演劇をやりたくてアルバイトをしながら頑張って来たけど今回台詞のある役を貰ったのを節目に故郷に帰って就職するよと言っていた青年 今頃元気にしてるかな?


はなさんはその後ご主人と引き売りの花屋さんを始め吉祥寺に「四匹の猫」という素敵な花屋さんを開いたのだけど若くして突然の病気で亡くなってしまった


お元気だったらお目にかかって思い出話も出来たのに残念でたまらない

いつか会えると思っていても叶わない事が多くなって来た寂しい


オットの白内障の手術・入院で又々ゴタゴタしてブログUPが滞りがちなんだかやる気がなくて 困ったな

# by g-tant | 2020-07-12 17:19 | 人々 | Trackback | Comments(6)

思い出の人達

おこもり後普通の生活に戻るのはダラダラした生活が身について案外難しく

その上2ヶ月半以上のブランクは年齢もあって作業の勘(そんなものあったかな~)も戻らず思いの外疲れて前回のブログUPから1ヶ月以上経ってしまった

おこもりの間色々と忘れていた事など思い出したので備忘録がわりにブログ書こうと思っているのですが~日々のドタバタでどうでもよく思われたりしてすっかりご無沙汰に


子供頃から「恐怖心より好奇心」の性格で興味のありそうなものには首を突っ込んでいた

そのお陰?で思わぬ方々に会うことができ今思うと本当にありがたい経験をさせていただいたと思う



大学3年の時演劇「はんらん狂想曲」の衣装のアシスタントで一夏を過ごした

1971年(昭和46年)に中村ら中堅・若手が希望した『はんらん狂想曲』の上演に幹部が反対したことで、俳優座首脳との対立が決定的となる。中村は『はんらん狂想曲』を自主公演した後、市原悦子菅貫太郎原田芳雄と共に俳優座を退団した。(wikipedia)

その当時ぽぴぃ・はなという名前でスタイリストで活躍されていた河合はな江さんが全体の衣装のプロデュースをされていて私は文化出身のデザイナーの女の子と彼女のアシスタントを

アシスタントと言っても予算がないので縫ったり着付けたりその他の雑用(お客さんの誘導等)を二人でやっていた 

何しろ予算も少なく人でも少ないので俳優も裏方も関係なくいろいろな仕事を手分けしていて自然にいろいろな方達と親しくなれたのは楽しい思い出

後に人気俳優になった蟹江敬三さんが新婚ホヤホヤで皆んなにからかわれていた

その当時大道具から抜擢?された阿藤海さんとは年齢が近かったので中村敦夫さんが着ていたシャツを真似して縫ってよと頼まれたり

市原悦子さんの仲良しの女優の馬渕晴子さんは差し入れをいただいたり自分で運転した車(ベンツ?)送迎のお相伴も 何回かお宅に寄らせていただいてお食事までご馳走に勿論市原さんにくっ付いてですけど

大変な美女なのにサバサバして気風が良い方で旦那様の井上孝雄さんが色々細かく気を使ってくださった

市原さんも「あなた達これ美味しいから沢山いただきなさい」と進めてくれて

まぁ随分図々しいお姉ちゃん達だと思ったでしようね


馬渕晴子さん写真よりずっと本人は綺麗!

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市原さんも実際に会うと本当に身のこなしや声も綺麗な方でした
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公演中は午後から六本木の俳優座に電車・バスを乗り継いで通っていた

演劇仲間の蜷川幸雄さん石橋蓮司さん緑魔子さん達が見にいらしていた

アルバイト代は・・だったけど毎日ワクワクできて

阿藤さん・原田さん(格好良かった)・蟹江さん・市原さん・馬渕さんも鬼籍に入ってしまった今あの賑やかな毎日が懐かしい


まだ記憶がある間に?大学時代特別講義でいらした建築家の有村恵子先生を通じてアルバイトをさせていただいた象設計集団もいつか書いてみたいなと思う



# by g-tant | 2020-06-30 11:37 | 人々 | Trackback | Comments(4)

ストックホルムへ

こんな時代になってしまってあのノー天気な時代戻れないあの時愛しささえを感じます

暑いだの食事が残念とか言ったり 途中日本文化の紹介をしろと言われて宮口さんと頭をひねって折り紙教室をやったりしながらサマーコースもそろそろ終わりに・・


昔から計画性がなくカペラの後はな~んも考えていなかった

ルームメイトのピアが泊めてあげるからおいでよと誘ってくれてあのレグラもストックホルムに居る友人のところにいるから一緒にどこかに行こうと誘われ(というか勝手に決められて)幸い陶芸の講師をしていたシャシティが車で送ってくれるとの誘いに図々しく乗っていざストックホルムへとなりました


シャシティはKonstfack(スウェーデン国立美術工芸デザイン大学?)の出身で息子二人を育てながら制作しているシングルマザーの陶芸家で日本でも作品展を開いています


最近のシャシティと作品

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10時間近いドライブの後夜遅くストックホルムのセーデルマルム(南部)にあるピアのアパートへ着きました

セーデルマルムは当時アパートの付近は古い建物が残った下町風情のあるところで若いアーティスト達が家賃の安さなどで移住し始めている地区 石造りだけでなく木造の古いアパートなどで今や人気のエリア


反対側から見たセーデルマルム


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ピアの住んでいたTavstgatan


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すぐ側にテキスタイルコースの講師マヤが住んでいた文化住宅?(主に古い木造住宅で画家や作家・詩人などに優先的に貸し出される)

文化住宅?

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マヤが住んでいたような木造住宅


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こういった古い住宅やガムラスタン(王宮などがあるストックホルム最古の地区)

に住むのは一種のステータスで(家賃も高い)何年も待ってるの事 


ガムラスタン

この近くにノーベル記念館があります(いった事ない)

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お気に入りの辺り


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部屋の中は結構狭いしエレベーターがなかったり(ここは結構綺麗)


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古い(ボロいと思える)建物の方が価値があるようで新築好きの日本人には中々理解されないでしょうね

ピアが仕事に出た後一人でブラブラ歩きながらストックホルム見物 よく歩いた
たまにレグラと出かけたのだけどほぼ彼女のおしゃべりを聞きながらなので何処に行ったかよく覚えてない

# by g-tant | 2020-05-22 18:25 | スウェーデン | Trackback | Comments(6)